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Viewsic「エレファントカシマシ Special」より

ゲスト=エレファントカシマシ 宮本浩次
(1999年6月19日、20日放送)

※ 以下の文は番組のインタビューを、かなりいい加減に要約したものです。参考程度にご覧下さい。


 エピック/ソニー時代

バンド結成当時はRCサクセションやローリングストーンズなんかをコピーしてた。ただレッドツェッペリンなんかは難しくて、コピーしても全然かっこよくならない。それじゃあということでオリジナル曲を作り始めた。中学時代にバンドを結成したけど、高校2年くらいの頃にはずいぶんオリジナル曲を演奏していた。

当時のオリジナルで今も演奏しているのが「星の砂」。これは最初に作った曲。「やさしさ」も当時作った古い曲。「ファイティングマン」は3年くらいかかってできた。「やさしさ」も完成まで2〜3年かかってる。「デーデ」や「星の砂」なんかはスピーディーにできあがった曲。「デーデ」は世の中に対する皮肉を込めて、そんな大人になりたくない、金なんかよりもっといいものあるんじゃないか、みたいなロマンチックな歌詞だったけど、今では、金がなきゃ話にならないって思ってるから逆の意味になってしまってる。

デビュー当初、「怒れるエレファントカシマシ」みたいな批評をされても、まだ10代、20代そこそこだったし、何がなんだかよくわからなかった。確かに客に対して怒鳴ったりしてたけど、どこかで「受けてるんじゃないか?」って思ってた。

「友達なんかいらないさ 金があればいい」(デーデ)とか「正義を気取るのさ」(ファイティングマン)とか、ストレートなものの言い方をしないでひねるのが好きだった。ファーストアルバムに入ってる曲は、高校生くらいになって新聞を読み始めたり、政治に対する問題意識なんかを持ってきた、その怒りや感じた事をそのままストレートに表現できた時期のもの。売れなきゃいけないというプレッシャーもないアマチュア時代だから自由にできたと思う。

デビューしてから2枚のアルバムを出して3枚目の「浮世の夢」の頃は、自分の大学卒業が近づいてきたりとか、彼女とうまくいかないといった事があったり、バンド活動の部分でも、「この重いサウンドでいいのかな?」「もうちょっと多彩ないろどりのあるものにしたいな」と思い始めていた、転換期だった。


デビュー以来ずっとハンドマイクで歌だけ歌ってたのに、4枚目のアルバム「生活」では、素人同然の自分がギタリストを差し置いて、ほとんど全曲ギターを弾いている。何でも全部自分でやりたくなったんだと思う。当時はバンド全体が悩みの時期に入っていた。息苦しくなってきていて、何か新しいことをしたい、だけどメンバーは変わっていかない、じゃあどうしたらいいんだろうと考えたときに、唯一、自分一人での作業に光明を見いだすしかないような、追い込まれた心境だった。

普段は曲を作ってから詩を書くけど、このアルバム「生活」ではまず詩を作った。「遁生」は、まさにそう。「星の砂」「珍奇男」なんかの突発の歌詞に対して、この時期は、わかりもしないのに西洋の哲学の翻訳本なんかを買ってきて、それを真似して書いたりしてた。「遁生」では権威づけするために「お前に女は必要か ペットのようなら飼ってもいい」なんてことを書いている。格好悪いかもしれないけど今でも真実だと思うし、よくぞ歌でこんな事言ったな、と今でも思ってる。

ファーストアルバムは、まだデビューする前の全く注目を浴びていない頃に作ったもの。だけどデビューしてある程度注目を浴びた後、もっといいものを作らなきゃというプレッシャーに負けてしまって、硬くなってがんじがらめになってしまった。怒りにまかせて自然の力で作っていた頃のエネルギーが失われていった時期だったと思う。「俺に近寄ってくれるな」「誰も注目してくれなければ、僕はまた一人になれる」。本当は相手にして欲しいくせにそんなことを思う、複雑な心境だった。


デビュー以来まったく売れなくて、地下活動みたいな感じでずっと息苦しかった。八方ふさがりになったところで、「自分一人の力じゃなくて、もう1回バンドでやってみよう」と思って作ったのが「奴隷天国」。この曲を初めて持っていった時、その痛快な曲調にメンバーは喜んでいた。それまで何枚かのアルバムは「ドラムの音、出していいの?だめなの?」みたいな感じの曲が多かったから。「デーデ」「珍奇男」「奴隷天国」「悲しみの果て」といった曲は、ある種の開き直りの中で作った曲で、自分の中でも印象深い。「奴隷天国」は、もうちょっと客が笑うかなと思ってたけど、誰も笑わなかったどころか「あくびして死ね」って歌ったらシーンとしちゃってびっくりした。

「東京の空」の頃は27歳くらいだったけど、この年にメンバーが2人結婚してバンドのムードは明るかった。メンバーが結婚式場を探すためにリハーサルを休んだりとかして、それまで自分が主導でやって来たバンドの雰囲気に風穴が空いたようでスカッとした。またアルバムのレコーディング中にレコード会社(エピック)から契約を切られてしまったけど、それもかえって八方ふさがりだったところに風穴を空けてくれた。

サウンド的には、前作「奴隷天国」がガチガチに力んでやったにもかかわらず全く売れなかったので、じゃあもうちょっと力を抜いてやってみようと思っていた。気の合ったエンジニアに頼んだりして、自分にとって気楽にレコーディングができる環境を作ってやってみたりしたらとてもスムーズにいった。またこの頃には、自分たちの音楽をもっとどん欲にみんなに届けるには、プロデューサーなど専門で活動しているプロの人に手伝ってもらう必要があるんじゃないかと思い始めていた。


 ポニーキャニオン時代

契約が切れて一番困ったのは、給料がもらえなくなった事。実家が近かったから家で晩飯とかを普通に食べていたけれど、それでもやっぱり職業としてバンドをやっているから曲を作らなきゃいけないと思い、たくさん曲を作って下北沢のライブハウスなどで演奏していた。「悲しみの果て」は自分でも好きで、当時のライブでよく演奏していた。自分の中で主流ではないけど素直に作れた曲。契約が切れた事や色々な悲しみや苦しみがあったけど、逆に希望を持って「悲しみの果て」や「かけだす男」などの新しい曲をライブハウスでお客さんと直接接して試していけたのは、新陳代謝というか新しい事をやっている実感があった。

契約が切れた事はもちろん悲しかったけど、まだ20代だったし新しいことができるチャンスでもあった。本当はそういうチャンスを自分で切り開いていかないといけない。他力本願で情けないんだけども。でも今まではできなかったけど「四月の風」で自分の弱々しいところが出せたりとか、責任のないところでは思い切った新しいことにチャレンジできる。「孤独な旅人」の「誰か僕をつかまえてくれ」というフレーズなどは、自分で充分な開放感を味わった。「悲しみの果て」はとても好きな曲だったから、受け入れられた時はとても嬉しかった。

新しいレコード会社や事務所と出会い、ここで結果を残さなきゃいけないという思いもあって、エネルギッシュな時期だった。テレビや雑誌やラジオなどのオーソドックスなプロモーションを総合的にやっていこうと勢い込んでいた。デビュー当時に匹敵するくらいの新しい感覚を持っていた。小学校から中学校に上がる時、3つか4つのそれぞれ地域の違う学校が集まってひとつの学校を形成する時のエネルギッシュな感じに近い、新しい緊張感。自分をアピールしなきゃいけないという思い。その頃くらいからしゃべり方も今みたいになった。

プロデューサーを入れての作業や新しい宣伝活動、「悲しみの果て」「孤独な旅人」といった自分たちにとっての新しいタイプの楽曲など、新しいスタイルの活動が始まっているから、全てにおいて突っ走るしかない。10代の頃は、これからの希望の中での作業だった。怒ってて当然だし、ロマンチックで当然、あらゆるものに食ってかかって当然のエネルギーの時代だった。それが良くも悪くも注目され、そしてそれが全く売れなかったという面白い経験をして、年齢的に大人になった蓄積を踏まえての突っ走り方になったと思う。


アルバム「ココロに花を」は屈折した状態での曲の作り方をしていた。決して王道ではない。このアルバムの中では「四月の風」「baby自転車」が最初にできた曲。「四月の風」は自分の中で開放感があって、「何かが起こりそうだ、僕らきっと何かいいことあるんだ」と非常に素直に歌っている。「baby自転車」は彼女と自転車で二人乗りしている曲。一人で歩いている時に、若い高校生なんかが自転車を二人乗りしているのを見て、とてもさわやかな感じがした。これらの曲を今聴くと恥ずかしいけど、当時の大事な事の一つとして女性問題があった。ちょうど契約が切られた時とタイミングが重なって、色々な事情で、ずっと一緒にいるはずだった彼女が田舎に帰ってしまった。寂しかったし、遠距離恋愛のもどかしさもあった。彼女と離ればなれになってしまうことは初めての経験で、自分にとって一大事件だった。彼女と一緒にいるという事は素敵な事なんじゃないかと思えたし、彼女と一緒にいる楽しい時間というものが、決して逃げじゃなく、男としてのもう一方の道としてあるんだなと強く感じた。

ジョン・レノンのアルバム「ロックンロール」の訳詞を見ると、笑っちゃうくらい恋愛の歌。夏目漱石だって恋愛小説を書いている。何でそんな大したことじゃないのに、みんなして恋愛恋愛って言ってるのかと実は今でも思う。ただ、かっこいいかどうかは別として、女性問題が重要なテーマとして浮き彫りになってきた事も事実。だからラブソングもいいんだろうけど・・・今思うと、じゃあ自分たちがそれを真剣にやらなきゃいけないのかっていうと、自分たちにはもっと別に仕事があるんじゃないかという気もしないでもない。でも当時として嘘は全く歌ってないし、「ココロに花を」の頃は絶対そういうものを求めていた。だから当時はラブソングが一番力を持っていた。


アルバム「明日に向かって走れ」はきれいなメロディのそろっている、メロディ主体のアルバム。そのきれいなメロディに乗せて歌っていこうとした時に、ひとつのテーマとして、自分の中で一番きれいな光輝いている場面場面が出てくる。「ふたりの冬」や「月夜の散歩」など、真冬の寒くて寒くてしょうがないところを散歩したりした事が走馬灯のように浮かんできた。「赤い薔薇」は、なかなか詞ができなくて困った曲。「赤い薔薇」「ろくでなし」というフレーズを使いたかったというのはあったけど、結局スタジオの便所の前で作った。

「ビル」「江戸幕府」といったイメージを持つ東京のもうひとつの顔として、戦前の文学者が多く住んだ、郊外の匂いを感じさせる中央線沿線のカラーが好きで、特に武蔵野が好き。そして自分の中では、恋人というと武蔵野というイメージがある。そのイメージがメロディと合致したんだと思う。そんな部分を強調してアルバムに入れた。

「愛と夢」というアルバムのサウンドは、自分の中では斬新な領域に踏み込んでいる。このアルバムはそこからスタートしている。曲に関してはコンパクトでいいメロディが新たに出てきているという自負がある。「愛と夢」というタイトルは、歌詞のテーマとして生まれた。詞にはどうしても生活感が出てしまう。女性問題とかその時にひきずっている場面が如実に歌詞に出てしまっている分、重たい印象を与えていると思う。当時はメロディを重視した詞の作り方で、いい意味でこなれた歌詞になっている。何も考えないで一気呵成に仕上げるという目標で作ったアルバム。「ヒトコイシクテ、アイヲモトメテ」は、「人」「恋」「愛」といった生々しい言葉が文字として目に入ってくるよりは、もっと淡泊にタイプライターのようにカッカッカッカと目に入ってくるようにしたかったから、カタカナのタイトルにした。「ココロ」という文字も普段から漢字では書かない。心という漢字は重いと思う。カタカナの方が漢字よりも強調できるという効果もあるし、カタカナの方がより音に近い感じがする。ただ、今だったらどっちでもいいっていう感じはする。

「悲しみの果て」「孤独な旅人」といった曲で新たにやった、自分の中で「甘えキャラ」と呼んでいるテーマの延長線上にあるものが「愛と夢」。「ココロに花を」から始まる一連の流れの、三部作の最終局面としての到達点。「ココロに花を」でやって「明日に向かって走れ」でもやった事を「愛と夢」でもくり返している訳だから、そういった意味では沈滞化ムードがあったけど、その中でも充分に最終段階としてのスタイルはできたと思う。


 今後の展望(東芝EMI時代)

もともとスリーコードのロックの曲やギターの音が好きで、そういう音が作りたくなってできたのが「真夜中のヒーロー」。歌詞も、甘えではなく「やっていくんだ!」という部分が出ていると思う。ただ、もっともっと前に進んだ形の曲を作っていかないと、人間が爆発してしまう。今度はかなり思い切っていく。「こんな事をすると誰かが迷惑なんじゃないか」と思ったりするのは、逃げ。自分の責任において、思っている事を表現していかないと、どうしようもない。順を追って聴いているファンの人にとっては充分に満足のいく「真夜中のヒーロー」という曲はあるけども、もうちょっときちっとした形でやっていくべきだと思う。自分で自分の中に風穴を空ける、大げさに言えば自分で自分の喉をかき切るくらいの事をしないと。他力本願じゃなく、自力本願でやっていきたいと思う。自分で改革していかないとヤバい。いつまでも人に頼ってやっているところがどこかにある。逃げというか、それではいつまでたってもいいわけがきいてしまう。もっと精神的に追い込んでいくという作業をしないといけない。

普段の生活の中で人恋しいと思う事はもちろんあるんだけれど、これを求め続けていくと大変な事になってしまう気がする。日常の断片としての歌詞としてはいいけれど、それを強調していく必要はないのかなと思うようになってきた。当時は日常的でいいかなと思ってたし、完結した歌詞だからいいんだけれど、それよりも、もっと向上していく姿の方が自分が鼓舞される。最近は、「これなんだ!」という部分をはっきり示して、思った事をストレートに出していく姿勢を表明した方がいいと思っている。デビュー以来テクニック的には向上した部分もあるんだろうけど、今はテクニックを否定する方向に向かっている。テクニカルの中での最高水準を目指してもいいけど、そっちにいけないという息苦しさがある。振り子としてはもう一方の方向に向かっている。


ホームランバッターが、自分の一番いいシーンをイメージしすぎてかえって動きが取れないと言うように、自分の目指す高い目標にいきなり飛び越えて行こうとするから、息苦しさがある。目標設定が高いのは事実。そこにいくまでの自分との距離を少しでも埋めていかなければいけない。自分の今いる地点での精一杯のものを作るという作業をやらないと、「テクニック」「ヒット曲」という頭でがんじがらめになってしまって身動きが取れなくなってしまう。偶発的で奇跡や才能といった要素ではなく、フィクションの歌詞で計算とテクニックで確信のもとに大ヒットサウンドを作れたら、こんな素敵な事はない。才能あるなしの問題じゃなく、今の自分には無理。等身大の自分を出している。等身大なんていう言い方は好きじゃないけど。

自分たちは音楽で自己表現できるんだから、だったらその中で思い切った表現活動をしていかなきゃいけない。次男坊の甘ったれなので「甘えキャラ」が出てしまうのは仕方ないとしても、向上するためにはこれからはそういう方向で、思いっきりやるという事がテーマになってくるのかなという気がしている。深く深く堀り下げていく歌詞も魅力的なんだけど、突発性の中で生まれてくる歌詞というものをやっていきたい。これからは行かなきゃいけないんだと思う。サウンドに関してはもっとすっきりしたものになってくる。「愛と夢」はいいアルバムだし高水準の楽曲がそろっているけれども、何か抜けのなさという面がある。「いいアルバムなんだけど・・・」と、「・・・」がついてしまう。もちろん責任を持って薦められるアルバムなんだけど、この次はもう一歩先に行くという作業は生まれてくるだろう。新しいアルバムを何とか年内に出したい。思い切りよくやるというのが最大のテーマ。


この強い決意のもと、この年の暮れにシングル「ガストロンジャー」が発表されることになる。


エレファントカシマシ入門サイト good morning (http://elebox.moo21.com)