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Viewsic「セルフライナーノーツ」より

ゲスト=エレファントカシマシ 宮本浩次
(2002年6月2日放送)

※以下の文は番組のインタビューを、かなりいい加減に要約したものです。参考程度にご覧下さい。


 宮本自身による「ライフ」全曲解説


 部屋

前作の「武蔵野」「コール アンド レスポンス」「ガストロンジャー」などで、強さの部分を充分に表現し得た。その次に新しい事をやりたいという自分の思いが、この曲に出ている。それが成長なのかどうなのかは、ちょっとわからないけれども。打ち込みでガッとやった次は、やっぱり「歌いたい」っていう思いに自然と流れていくっていうか。

「部屋」は1曲目がいいって俺が言ったのかなぁ。曲順はニューヨークに着いてすぐに、曲を小林さんと2人で聞きながら「こんな曲順でどうだろう?」と小林さんはその場で大筋決めてくれた。結局ほぼその通りに活かされたんだけど。この曲は自分でドラムをプレイしている。ドラムは打ち込みでやったことはあったけど、初めて実際にドラムを演奏した。

このアルバムのテーマとして、自分の部屋で「この部屋で僕は生きている」というところから始まって、そこからすーっと広がってアルバムのクライマックスを迎えられれば、という思いがあったので、1曲目にしたかった。曲が好きだったんだろうね。


 女神になって

これは非常に好きな曲。デモテープの段階でアレンジもかなり詰めてあって、ほぼ完成していた。それをバンドで演奏するというところに意義がある。前2作ぐらいは打ち込みで作ってたので、ドラムのトミが張りきっていて爆音を轟かせたいという思いがあって、そんな思いが伝わってくる演奏になっている。

独特のアレンジは小林さんのアイデアで入れたんだけど、ロックの骨太の、血みたいなものが流れてる曲に仕上がったと思う。ファーストアルバムから続いている「やるんだ!」っていう気持ち、一種の血統とも言えるものが、脈々と流れていると思う。

今回のアルバムは、詞に関しても曲に関しても練られている。実は10年前の「生活」というアルバムでさえ、ラフに聞こえても練られているんだけど、そういう風にして、今にたどり着くだけのお膳立てをして今回ニューヨークにレコーディングに行ってるわけで、そういった意味では、血脈、血統、筋という部分で通ったアルバムになっている。


 面影

マイナーコードとメジャーコードで転調しながら、どんどん先に進んでいくような作り方は、デビュー曲の「デーデ」でもやったやり方だから、作り方自体は昔と変わっていない。ブリッジ(間奏部分)に小林さんのピアノアレンジが入ってきたりとかの違いはあるけれども、それでも曲を作る段階では、ベーシックな打ち込みのリズムにのせて、ギターで歌いながら録っている。昔は弦が3本しか張ってない兄貴のギターで「デーデ」や「ゴクロウサン」を作ったし、ギターで曲を作るという部分は変わっていない。唯一「生活」というアルバムでは、当時ピアノを習い出してた頃だったこともあって、ピアノで作ってる曲も結構あるけども。基本的にはギターで曲を作って、できあがった曲に対して詞を乗せていく。浮世絵なんかでも、目と毛筋は最後に一番の親方が彫るように、最後に魂を入れていくというか。

曲は作った後も一緒に成長し、そして最後に詞が乗ってくる。例えばバンドプロデュースの場合は、ドラムが入り、ベースのフレーズが入り、そこに歌も乗っていって、という風に曲がどんどん変化して成長していって、最後に詞が入る。ところが今回のアルバムは、その成長の部分が欠落している。というのは、その部分を小林さんに委ねたから。既に完成形のものがオケとして渡される。今までだと、リフを作ってドラムを作って、という作業を通じて1曲に仕上がっていく過程で、歌詞をどういう風にしていこうかといろいろ考えながら作る余地があったが、今回はアレンジの設計図は小林さんが持っていた。そういう部分でプロデューサーでありアレンジャーなんだけど、それによって曲と一緒に成長していく歌詞というものが、ある意味では欠落していた。しかしそれは、歌と向きあいたいという思いで、あえて実践している。


 暑中見舞−憂鬱な午後−

これはもともとバラードっぽい、ミディアムテンポのさらっとしたポップソングだったが、小林さんの「ロンドンの80年代のポップな匂いを感じさせたい」という提案で、一発録りのバンドアレンジに変わっていた。歌い方自体には、アレンジ前のもともとのテイストが残っている。

今回、完全なバンドアレンジでもなく打ち込みでもなく、小林さんにプロデュースをお願いしたのは、自分が迷ってる部分のヘルパーとして、何か新しいアイデアが欲しかったから。チャラのアルバムや、マイリトルラバーのファーストアルバムなど、小林サウンドの中に東洋人ならではの、オリエンタルな繊細な感覚というものが明らかにあったし、そういうものが欲しかったと小林さんに説明した。それなりに実績を持ってるバンドに対して、それと宮本の言ってる事とをどうやって紡いでいくか、その作業の役回りをあえて小林さんに委ねた。引き受けた小林さんとしては、宮本の言ってることをどういう形で実現してやろう、宮本が錯綜していることを音楽としてどうやって紡いでいこうかと、それは大変な作業だったと思う。小林さんの中で、エレファントカシマシや宮本というものを考え、また小林さん自身というものを考えた合わせた結果、最大のバランスの中で成立しているアルバムだと思う。


 普通の日々

これはニューヨークにメンバーが来て、その日のうちに一発録りで録った曲。おかしなもんなんだけど、ライブ以外のレコーディングのスタジオでメンバーと歌をうたうという事は久しぶりで、とても嬉しくてその喜びやら何やらが歌に込められちゃった。歌詞が入ってない段階での歌だったんだけども、それが非常によかったみたいで、小林さんも含め、メンバーや周りのスタッフなんかにも、歌声がいいと評判がよかった。シングルにする曲をどれにするかというのは、基本的にはどうでもいいというのはアレなんだけれども、でも今回はこれしかなかった。歌声が好きだった。

歌声とか、「Baby」とか「歌をうたおう」とかいう歌詞の断片に、空っぽな感じが割と端的に表れている。非常に地味な渋いバラードの曲なんだけども、後で聞いてみて、歌声に説得力を持ってたという気がする。


 かくれんぼ

最初のメロディを基にして、小林さんが「宮本君、これはピアノの曲だよ」と言ってスローなバラードにしてくれた。それが嬉しかった。「浮雲男」を発表した当時、パチパチロックンロールで「無冠の帝王」と言われたのと同じ。あの当時はそれをバンドのアレンジでやっていた。バンドのアレンジによって自分が考えていたレベルから、一頭地抜いたレベルにグレードアップしていく過程というのは、やっぱりとっても嬉しい。今回も「かくれんぼ」にせよ「面影」にせよ、ピアノアレンジになることによって「えっ?!」っと思える瞬間がある。作曲したものがどんどん大きくなって曲が膨らんでいく、そのために一人じゃなくやってるという部分はある。

ピアノアレンジで歌うことにあんまりうっとりして、調子に乗ってしまって「ワイン」とか「なんとなくクリスタル」とかワインで夜景が見えて、みたいな似合わない歌詞を書いてしまった。それを歌ってみたけど自分でおかしくて、レコーディング中に小林さんと大笑いになってしまった。それで小林さんが「宮本君を見てると、どうもかくれんぼしてるみたいな、ちょっと出てきたなと思ったらまたすぐいなくなっちゃう、あなたを見てるとそんな感じがするんだよね」と。その時に「かくれんぼ」というテーマが出て「ああ、それいいですね」という事になった。自分の中からは「かくれんぼ」なんて、ある種客観視した言葉は出てこない。プロデューサーの目で見て、また愛情のある目線でテーマをくれた、この曲はそこからスタートした。詞、曲、アレンジと独特の風合いをこのアルバムに与えている曲だと思う。


 秋−さらば遠い夢よ−

ニューヨークの街というのは空が青くて、東京のような湿気もない、それがまず気持ちよかった。当時はニューヨーク同時多発テロの1ヶ月後だったから、髭剃りを持ってるだけで飛行場でプープー鳴って、軍隊の人に取り囲まれて身体検査をされたりしたし、成田空港なんてガラガラだった。だけど実際ニューヨークに行ったら、表面的には割とみんな平穏に暮らしているように見えた。1ヶ月経ってもう生活をかみしめてる、ああ空が青いっていいなあ、自由っていいなあ、そんな風に思ってるように見えた。日本にいる時は、やれ炭そ菌だ、米英軍アフガニスタン空爆などと騒がれていたので、緊迫した状態をイメージしていたけど、割と普通で。

枯葉の中をうっとりと「いいじゃない、ニューヨークも」みたいなことを思いながら、どこまでも高く突き抜けていくような青い空の下を、ホテルからスタジオまでブラブラ歩いていた。ニューヨークで「ハロー!ニューヨーク」と「秋」の2曲を作った。井の頭公園を太宰治の本を読んで散歩したのとはまた違う散歩の歌。


 真夏の革命

小林さんに「宮本君、この曲いい曲だから、頑張ってAメロ作りなよ」と言われた。イントロで最初に出てくるピアノのリフは、実際に自分でピアノを弾いて作った。それにメロディを乗せていった。これは楽しかった。サビだけは、あらかじめ打ち込みで作ってたものがあったので、日本から持ってきたリズムパターンにAメロを乗せて作っていった。小林さんに随分働かされた。ドラムもやったし「宮本君、じゃあベースも」と言われてベースも弾いた。そして最終段階で小林さんのピアノやオルガンを入れていった。これはニューヨークに行って最初にトライした曲。


 あなたのやさしさをオレは何に例えよう

「ライフ」というテーマが自分の中にあった中で、「僕はこの部屋で生きてる」で始まって、怒ったり悲しんだりそういうことを経て、そういうバイオリズムというか、上り詰める気持ちで行きたかった曲。「秋」で秋の風が静かだと歌い「真夏の革命」で男だ!と言って盛り上がり「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」でクライマックスを迎えるという。割と観念的ではあるけども、言葉と楽曲と上昇気流のサウンドに乗って、エレファントカシマシが、今作「ライフ」の中で到達できた地点だと思う。

「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」を作ったのは、2001年3月にアルバム制作を開始してから1年1ヶ月目。その間で、自分の中で錯綜してたものが小林さんのクライマックスという演出の中に溶け込んでいったという感じがする。アルバムの中のクライマックスとは別に、時間枠の中でも一つそういうクライマックスを迎えていた。曲を通じてわかり合ったというか。このアルバムのまさに頂点。

自分の中で錯綜してたものをまとめたかったという意志と、「この男がこういう風にしたいものを、俺なりに解釈するとこういうことだぞ」という答えを模索した小林さんとの間で、この1年1ヶ月のレコーディング期間で、気脈が通じ合ったんだと思う。もしかすると、小林さんはプロデューサーでスケッチを描いていたからわかってたかもしれないけど、この曲で自分は一致点を見出した。


 マボロシ

「たぶん男には 戦いを 勝利への面影を/そしてきっと 女には/騒がしいこの世に愛を/静かに灯して/灯して」というところの世界観、今回はここに観念でしか到達できなかった。何かそれが結論として実態の伴ったものであれば、また違ったテイストだっただろうけど。先に行くぞ、ということの余韻、空(から)という部分、何にもないという部分を明快に歌ってる。本当はもっと素晴らしいクライマックスを迎えたかったし、このアルバムの中に一つのドラマを作りたかったが、2年かかってここにたどりついただけだった。

リアルな詞の作り方をしていくという意味では「真夏の革命」のある種のリアルさと、その表裏の裏にある「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」の中で「愛する力を求め続ける勇気を」という世界観に到達したにすぎなかった。でもそれは非常に明快に自覚として持ってるから、そこからのスタートということで、逆にリアルなアルバムに仕上がってるし、ライフというテーマにはぴったりになったと思っている。


エレファントカシマシ入門サイト good morning (http://elebox.moo21.com)